[61]初の春夏連覇を達成した作新学院 エースは春夏で違った
甲子園で春夏連覇を成し遂げた高校はこれまで5校。その一番最初は1962年の作新学院だが、春夏で違うエースでの快挙だった。
第34回選抜大会に出場した作新は、接戦の連続で紫紺の優勝旗を手にした。このときマウンドを守っていたのは八木沢荘六だった。夏の第44回大会も予選を制し、甲子園入りしてさあ開幕、というときに作新ナインに腹痛の選手が続出した。特に八木沢の診断結果は「赤痢」。開会式の朝に強制隔離となってしまった。
エースを突然欠いた作新。八木沢の代役は、2番手投手だった加藤斌に託された。その加藤が好投を見せ、打線もまた加藤に刺激されて奮起。やはり苦しい戦いが続いたが、決勝で久留米商を破り史上初の春夏連覇を成し遂げた。
八木沢は春に延長18回、16回という長いゲームを投げていた。山本部長(当時)はもう1人エースがいなければ甲子園で勝てないと考え、春が終わった時点で加藤を上手投げから下手投げに変えさせ、徹底的に鍛え上げていた。想定した以上の事態ではあったが、2人のエースがいたからこその春夏連覇だった。
【補足トリビア】
(1)八木沢は早大を経て東京(現ロッテ)に入団。71勝をあげ、ロッテの監督も務めた。一方の加藤は作新卒業後に中日に入団したが、65年1月3日に交通事故でこの世を去った。
(2)作新の後輩にあたる江川卓は、この当時小学1年生だった。
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