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★還暦甲子園に最新式スコアボード
1984年は折りしも甲子園球場開場60周年。還暦を迎えた甲子園に赤いチャンチャンコならぬ、総工費11億円の3代目スコアボードがプレゼントされた。
PL学園が毎回得点を記録(1985)
新しいスコアボードは先代の面影を残すために、“軍艦型”や黒色の外観はもちろんのこと、白色での明朝体の表示までもがそのまま再現された。しかしスコアボード自体は電光式になり、大きさは縦3メートル、横7メートル拡大し、位置も外野最後部へ移動。高さも外野最上段まで上げられた。
選手名などの表示には日本で初めて61000本の白色ブラウン管を使用。表示部の大きさも約2倍になり見やすさが向上。また、右下部分はフリースペースとして、白黒ながらアニメやお知らせを表示することが可能になり、スコアボード自体の機能が大幅にアップした。
イニングスコアは10回までになり、ヒット、エラー欄が増設。これを祝ってかどうかは知らないが、85年の夏の大会でPL学園が東海大山形戦で毎回得点を記録している。★もう1つのスコアボード
さて、甲子園にはもう1つスコアボードがあるのをご存知だろうか。外野席に座っている人がいちいちスコアボードを見るために振り向かなくても試合の状況が把握できるように、バックネット側の銀傘の支柱部分にもスコアボードが設置されているのだ。
バックネット側のスコアボードは
もう1つのスコアボード(1989)
この「もう1つのスコアボード」の歴史は意外に古い。いつから登場したかは特定できないが、少なくとも30年にはすでに存在していた。ただ、当時は1塁側アルプススタンドのフェンスに設置されている。これも特定できないが、現在と同じ場所に移動したのは2代目のスコアボードができてすぐの36年ごろと推測される(35年はまだフェンスにあるため)。39年の写真を見ると、ちゃんと今と同じようにボールカウントとイニングスコアの欄があるのが確認できる。
その後、43年に国に鉄傘を供出したときに一旦ネット裏最上段に移動したが、52年の銀傘完成とともに元の場所に戻り、84年に外野同様にネット裏のスコアボードも電光化され現在に至る。
あまり目立たない存在だが、やはり70年以上の歴史を誇るもう1つのスコアボード。機会があれば注目してみてはいかがだろうか。★21世紀の甲子園へ…
93年、スコアボードの右側部分を改造してカラービジョンを設置。今や主要な球場にはどこでもついている設備がついに甲子園にもお目見えした。CMはもちろん、球場内の様子、色とりどりのインフォメーションを表示することが可能になり、一段と機能がアップした。なお、高校野球大会では春は学校紹介、夏は予選の決勝の模様などをこのビジョンで流している。97年には左側のメンバー表示部分も、新型のブラウン管にリニューアル。さらに見やすいスコアボードになった。
カラービジョン設置で、さまざまな
表示が可能になった(2002)
そして21世紀。甲子園球場のスコアボードはこれからも高校球児やプロ野球選手の一挙手一投足を見つめて、その記録をもらさず自らの体に刻みこんでいき続けるだろう。選手と同じようにさまざまな成長を遂げながら…
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