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熱闘甲子園HISTORY

歴史編

「熱闘甲子園」その番組の起源から現在まで(データ編はこちら

1975〜1978 新ネットワーク結成
 まずは「熱闘甲子園」(以下「熱闘」)が始まる前の話から。1975年4月にテレビ朝日(当時NET)−ABCのテレビネットワークが組まれたが、この年の夏から「高校野球ハイライト」という番組が夏の甲子園期間中、深夜枠で連日放送されていた。言わば「熱闘」の前身的な番組である。内容は当日行なわれた試合を、そのまま短く編集して流すという極めてシンプルなものだった。
 また「熱闘」とは直接関係ないが、「あゝ甲子園」という番組も参考として紹介しておく。これは77年の第59回大会の前後に、高校野球にまつわるさまざまな人間模様をドキュメントにして放送されたシリーズ。注目すべきはあの『君よ八月に熱くなれ』がこの番組で初めて使われたことである。この年から94年までの足かけ18年、ABCの夏の甲子園のテーマソングとして親しまれたのは言うまでもない。

1979〜1980 熱闘甲子園の誕生
 上記の番組はABC制作でテレビ朝日系で全国ネットされていた番組である。当時、高校野球は今以上の国民的イベントで、甲子園は連日超満員。テレビの高校野球中継も高視聴率続きで、ついには1978年夏の決勝・PL学園×高知商戦が50.8%にも達した(NHK総合・関東地区)。
 これに目をつけたのがキー局のテレビ朝日だった。ABCにゴールデンタイムで夏の甲子園のダイジェスト番組を共同制作で放送することを持ちかけ、ABCもこれを了承。その番組は79年の第61回大会決勝の翌日、8月22日の夜7時半から「水曜スペシャル」の枠で放送された。この番組のタイトルが「熱闘!甲子園・第61回全国高校野球選手権大会」。タイトルからもわかるとおり、これが「熱闘」のルーツとも言える番組である。この番組は関西地区で24.1%という高視聴率を稼ぎ、翌年も同様の番組を放送して「熱闘」のスタートに繋がる。
 このころのテレビ朝日は高校野球に力を入れていて、80年まではABCの高校野球中継を関東勢の試合を中心に、かなりの時間を割いてネットしていた。また、76・77年には神奈川のUHF局・テレビ神奈川(TVK)とのリレー中継も実施し(ABCの関西独立UHFリレー局との高校野球中継は85年スタート)、ほぼ朝から夕方までABCの高校野球中継が楽しめたという時期もあった。またここから派生して、全国高等学校定時制通信制軟式野球大会を“もう一つの甲子園”として取り上げ、萩本欽一氏や同局の人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」の出演者らを起用した特別番組なども制作している。

1981〜1986 未だに記憶に残るオープニング
 そうして1981年8月8日夜11時、「熱闘甲子園」がついにスタート。キャスターは「パワプロ」実況でおなじみの“アベロク”こと安部憲幸アナが担当した。スポンターは松下電器で「熱闘」用に制作した高校野球をイメージしたCMを流していた。
 オープニング映像は『君よ八月に熱くなれ』のイントロにのせて試合のハイライトのさわりが流れ、『君よ−』のテーマに乗って甲子園のモザイク映像に切り替わり「熱闘」のタイトルロゴが浮かび上がる…というものである。もう相当前になるが、このオープニングを未だに覚えてる方も多いだろう。このオープニングは88年の松下電器撤退まで続いた。
 2年目からは“ミスター熱闘甲子園”中村哲夫アナ(当時)が登場。82〜1986年の5年間キャスターを務め、名調子で荒木(早稲田実)、水野(池田)、桑田、清原(PL学園)など当時のスターの甲子園での活躍を伝えていった。また、82年8月20日(決勝・池田×広島商戦)には関西地区で34.9%の視聴率を記録。これが現在までの最高視聴率記録になっている。

1987〜1988 ハプニング相次ぐ熱闘甲子園
 1987年、「熱闘」で初めてアナウンサー以外からキャスターが起用された。キャスターは当時、テレビ朝日系列「モーニングショー」のキャスターを務めていた江森陽弘氏。江森氏は番組の中で渡辺投手(一関商工)の力投に感動して、ハーモニカで『ふるさと』を演奏したのが印象的だった。実はこの年のみ、スポンサーが従来の松下電器に加えて後に単独スポンサーとなるコカ・コーラボトラーズが参加している。江森氏の起用はここら辺が関係あるかもしれない。
 翌88年はスポーツ・芸能などから日替わりでゲストを招き、キャスターとトークをしながら番組を進めたが、大会6日目となるはずの8月13日に珍事が起こった。この日は雨で全試合が中止になったのである。しかし、予定通りに「熱闘」はオンエア。試合がなかったので、前日までのハイライトやゲストの永島敏行氏の思い出の試合(74年決勝・銚子商×防府商戦など)などをオンエアしてしのいだ。後に「全試合中止の場合は放送休止」となったために、最初で最後の全試合中止の日の「熱闘」というレアものの放送になった。
 また、番組最終日のラストでキャスターの太田元治アナが、涙を流しながら「最後に浜松商の岡本君…君のピッチング…忘れません」と言った。オンエアされていないが最後は嗚咽したそうで、太田アナ自身、この年の「熱闘」が一番印象に残っている仕事だという。なお、松下電器はこの年をもって「熱闘甲子園」のスポンサーから撤退した。

1989〜1990 熱闘甲子園大リニューアル

'89〜'91担当・伊藤史隆アナ(左)と
'92担当・芦沢誠アナ
=ネット裏記者席で取材準備
 平成に入った1989年、「熱闘」のスポンサーがコカ・コーラボトラーズ(現日本コカ・コーラ)に代わった。それと同時に、開始以来ほとんど番組の形を変えなかった「熱闘」が大幅にその形を変えていく。
 89年はテレビマンユニオンが番組に参加。基本構成は同じだったが、オープニングはクラシックの『タンホイザー行進曲』に変わった(エンディングは引き続き『君よ八月に熱くなれ』を使用)。初日の「熱闘」オープニングを見て、驚いた人も多かったのではないだろうか。また、タイトルバックには初めてCGが使われた。
 10年目となる翌90年、ついに大リニューアルが敢行される。まずテーマ曲が一新。「熱闘」から『君よ八月に熱くなれ』がついに姿を消した。さらにタイトルロゴも筆文字風から、カクカクとした文字のものに変更。放送時間も平日・土日とも夜11時からに統一。そして、日替わりの“特集コーナー”も本格的にスタートした。この特集を主に担当したのは映画監督・林海象氏率いる「映像探偵社」。はっきり言って“やりすぎ”なほど凝った映像で特集を演出していた。映像探偵社は92年まで「熱闘」の制作に携わる。
 また、この年初めて女性キャスターが登場した。田中雅子さん、安陪利美さん(元九州朝日放送アナウンサー)の二人だが、田中さんがほとんど毎日感動して泣いていた印象しかない…。最後に、CM前にアルプスで応援する女の子を映すその名も「アルプスの少女」というコーナーが始まったこと(92年まで)も付け加えておく。

1991〜1995 超シンプル・全編ナレーション

'92担当・勝恵子さん
=ネット裏放送席で番宣出演
 1991年から、キャスターと試合のダイジェストを伝えるアナウンサーが分離された。この形式は現在も続いている。また、91年はタレントの諸江みなこさんがキャスターを務めている。スポーツ番組の(若い)タレントの起用は今では当たり前だが、当時としてはかなり珍しかった。翌92年は「ニュースステーション」で当時天気キャスターだった勝恵子さんがキャスターを務めた。
 そして93年から95年の3年間、「熱闘」はスタジオとキャスターを設けず全編ナレーションのみという極めてシンプルな進行となる。1993年は中里雅子さん(元テレビ朝日アナウンサー)、94・95年は声優の皆口裕子さんが「声」だけで球児の熱い夏を伝えた。
 また、企画モノには「熱闘「夏」物語」というタイトルが付けられた。甲子園を舞台にしたリアルタイムのドキュメントという感じで、よく作り込んであった。

1996〜1997 日替わりで芸能人キャスターが甲子園へ

'96担当・石原良純さん
=球場外歴代優勝校校旗前でロケ
 1996年、キャスター制が復活。しかも6人の芸能人による日替わりキャスター制である。ただ正直、高校時代に甲子園出場経験があり、甲子園に思い入れの深い美木良介氏以外は印象が薄かったかもしれない。
 翌97年は佐藤藍子さんなど、もっと多い10人の若手女性タレントが日替わりで出演している。「甲子園日記」というノートを作って毎日リレーしていったが、番組の統一感がいまいちなかったのは否めない。しかしそれを引き締めたのが、オープニングの黒田征太郎氏の絵と伊集院静氏の詩である。ここからテーマソング『Dear...』に入っていくのは歴代でも屈指の出来だろう。また、番組終盤の20日には『Dear...』を歌うTSUNAMIさんがスタジオに来て、アコースティックで熱唱したのも印象深い。

1998〜2000 長島三奈さん登場!

'98,'99,'01,'02担当・長島三奈さん
=ネット裏記者席から観戦
 1998年、テレビ朝日記者で「ニュースステーション」スポーツ担当(いずれも当時。2004年よりテレビ朝日には嘱託で復帰)、そしてプロ野球巨人終身名誉監督・長嶋茂雄氏の娘である長島三奈さんがキャスターで登場した。2000年を除いて現在まで「熱闘」のキャスターを務め、いつしか“高校球児の母”というキャッチフレーズまでつくほど「熱闘」のイメージが強い人になった。
 長島さんがキャスターになった年から、特定のキーワードを前面に押し出すようになった。98年は「怪物」。実際、この大会は松坂(横浜)、新垣(沖縄水産)、古木(豊田大谷)など「怪物」と言えるような選手が多く、特に松坂投手はぴったりはまっていた。プロ入りした今でも松坂投手が「怪物」と呼ばれるのはこの番組の影響である。準決勝が行われた8月21日には、関東地方で16.4%と久々の高視聴率を記録した。また、従来番組のスパイスとして取り上げてきた「球児のサイドストーリー」的なものが各試合ごとに散りばめられ、番組の主軸を担うようになった。ある意味「熱闘」の大きな転換点となった年といってもいい。
 99年はゲンを担いだか、キャスターはもちろんアナウンサーが続投。この年は「伝説」をキーワードにしたが、前年ほど定着はしなかった。
 2000年は長島さんのテレビ朝日退社に伴うリフレッシュのため、元フィギュアスケート選手の八木沼純子さんがキャスター。キーワードは前面に出さず、試合のポイントを検証する「勝負の瞬間・熱闘を検証する」や、各スポーツのアスリートが高校野球への想いや勝負へのこだわりを語る「夏・夢・未来〜たたかう君へ」というコーナーを設けた。なお、この年から番組タイトルロゴが現在のものになっている。

2001〜2002 20周年、そして熱闘21世紀
 21世紀に入り、長島さんが2年ぶりに再登場。番組20周年となる2001年は、甲子園高校野球最速(当時)の154km/hを投げた寺原投手(日南学園)を「超怪物」と名付け、試合があろうがなかろうが毎日登場していた。この年は「球児たちの手紙」というコーナーがあり、その日敗れた高校の選手(もしくは監督やマネージャー)がその日にいろいろな人に宛てて書いた手紙を長島さんが朗読していた(本人が読んだ日もあった)。
 02年はテーマソングを我那覇美奈さんが担当。弟の悟志さんは当時樟南高校(鹿児島)野球部のレギュラーで、この年甲子園出場。「熱闘」を通じた姉弟の競演が話題になった。また構成は「球児のサイドストーリー」がより強調されたものになった。この年から始まった「夏詩(なつうた)」というコーナーは、アカペラコーラスグループ・AJIの歌う『farewell』などをBGMに、映像とテロップのみで構成。「初めての…」「絆」など日替わりのテーマで「熱闘」を彩った。

2003〜2005 帰ってきた『君よ八月に熱くなれ』
 2003年は前年好評だった「夏詩」のコーナーをはじめ、構成はほぼ前年を継承。その「夏詩」の挿入歌でなんと『君よ八月に熱くなれ』が復活した。「熱闘」で流れるのは実に14年ぶり。今回は夏川りみさんが担当し、心地よい歌声でこの夏の物語を演出した。なお、この年はコカ・コーラの一社提供ではなく(同社は筆頭スポンサーとして提供を継続)、数社の日替わりスポンサーとなった。
 04年、ついに長島三奈さんが歴代最長のキャスター6年目に突入。構成は前年を踏襲して、アナウンサーも前年と同じ。この年は主に東北のダルビッシュ投手や、千葉経大付の松本吉啓監督(1976年夏に桜美林のエースで全国制覇)と4番でエース・啓二朗選手の「父子鷹」、異なる高校で甲子園出場を果たした天理の祐規・明豊の昌平両選手の「藤田兄弟」が良く取り上げられていたが、アテネオリンピックの柔道の生中継と重なったこともあって視聴率は伸びなかった。また、スポーツ中継で開始時間も安定せず、17日には深夜4:30(実際の放送開始は5:05)に回されてしまった。
 そして05年。この年もキャスター・アナウンサーは続投。この年は番組25年目の区切りで、アイキャッチでも「25th」とアピール。前半には過去の映像を紹介するミニコーナー「熱闘ストーリー」も放送された。また、大阪勢として14年ぶりに4強に導いた大阪桐蔭の辻内、平田、中田の3選手が重視して取り上げられた。

2006〜 “主役”重視の番組へ
 2006年は番組構成が大きく変化。近年の傾向だったサイドストーリーや感動路線が薄れ、一層“主役重視”路線になった。「夏の主役はオレだ」をキーワードに、前評判の高かった田中(駒大苫小牧)、中田(大阪桐蔭)、斎藤(早稲田実)、堂上(愛工大名電)などを中心に据え、試合日と関係なく連日取り上げた。その一方で「夏詩」がなくなり(企画自体はABC中継のインターバルに継続)、そして26年目で初めてエンディングテーマが廃止された(最終日のみスキマスイッチの『奏』が流れた)。試合順に放送しなくなったのもこの年からである。
 07年もこの主役重視路線を継続。佐藤由(仙台育英)、熊代(今治西)、中村(帝京)、本田(京都外大西)などが取り上げられた(当初は中田(大阪桐蔭)を中心に据える予定だったが、大阪大会で敗れた)。また、昨夏の大会を沸かせた斎藤(早実→早大)、田中(駒大苫小牧→楽天)のインタビューも挿入、準決勝日は好評だった「手紙」を放送された。この年も通しのエンディングテーマはなく、最終日のみウルフルズの『ええねん』が流れた。また、初の試みとしてこの年の放送をまとめたDVDがビクターより発売されている。
 そして、来年の夏も熱闘甲子園は選手を追い続けていく…