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No.4 高校野球・記念大会ものがたり

 春夏の甲子園高校野球大会は、5年に一度の区切りの大会に“記念大会”になります。記念大会は出場校が増えたり、大きなイベントが行われたりと、この年に現役高校生だったらラッキーという大会にあたります。
 ここでは、過去の春夏の記念大会(区切りになった年)を振り返ってみたいと思います。こういう観点で振り返るのは、THPが初めてでしょう。


__選抜高校野球記念大会__

年(回)出場優勝スコア準優勝備考(記念事業など)
1933年
(第10回)
32岐阜商 1-0明石中  センバツ初の記念大会。出場校はなんと32校! 当時春20校、夏22校が出場枠だったのが、記念大会で大盤振る舞いの枠拡大に。この年から紫紺の優勝旗に加え、準優勝旗が登場。優勝・準優勝メダルも閉会式で贈られるようになった。また、東京六大学野球連盟からも優勝カップが贈られた(第29回まで)。
1948年
(第20回)
16京都一商 1-0京都二商  この年学制改革があり、従来の中等学校が高等学校になった。そのためセンバツも第1回選抜高等学校野球大会として開催された(中等学校時代から通算して数えるようになったのは7年後)。この年の出場校は旧制の中等学校名で称された。混乱防止と新校名が決まっていなかった高校があったためだという。
1958年
(第30回)
23済々黌 7-1中京商  この年、甲子園球場西側に選抜高校野球記念塔が建立され、優勝カップが初登場した。また、開会式では歴代優勝校の主将が優勝旗のレプリカを手に入場行進をしている。坂出商×興国商戦ではセンバツ初のナイター(夏は2年前が初めて)となった。
1963年
(第35回)
28下関商 10-0北海  この年から紫紺の大優勝旗を新調。2代目は金糸・銀糸をふんだんに使用し、綾錦織という高級素材で織った超豪華なもので、総重量は20kg。また、PL学園の戸田善紀投手が首里戦で9回21奪三振を記録。これは現在でも大会記録。
1968年
(第40回)
30大宮工 3-2尾道商  この大会は出場校が前年より6校増の30校。第10回大会以来の30校台となった。一方で大会は波乱の連続で、優勝候補が続々敗れていった。優勝した大宮工は春夏通じて唯一の埼玉県勢の優勝校。
1973年
(第45回)
30横浜 3-1広島商  記念大会だからというわけではないが、この大会はなんと言っても作新学院の江川卓投手。そのピッチングはまさに元祖「怪物」で、江川投手の球をバットに当てただけでも拍手が起こったという。結局作新学院はベスト4で、江川投手の大会通算60奪三振は現在も大会記録。
1978年
(第50回)
30浜松商 2-0福井商  これも記念大会だからというわけではないが、この大会の4日目第3試合の前橋×比叡山戦。前橋の松本稔投手が高校野球大会春夏通じて初(2429試合目)の完全試合を達成した。投球数は78球。その後、1994年春(第66回)に金沢・中野真博投手も江の川戦で完全試合を達成している。
1983年
(第55回)
32池田 3-0横浜商  この大会は昨夏優勝の池田が優勝候補筆頭。他校がマークする中、“やまびこ打線”は春も爆発して、昨夏から合わせて9試合連続の2ケタ安打を記録。一方エースの水野雄仁投手もピッチングが冴え、防御率はこの大会0点だった。池田は史上4校目の夏春連覇
1988年
(第60回)
34宇和島東 6-0東邦  昭和最後のセンバツ。熱戦が相次いだ大会だった。3回戦の中京×宇部商戦では中京の木村竜治投手が9回1死まで完全試合。あと2人のところで初安打を許し、さらに逆転の本塁打を打たれ敗れるという試合があった。初出場初優勝した宇和島東には苗字に「神」とつく選手が2人いた。
1993年
(第65回)
34上宮 3-0大宮東  3代目となる新大会歌『今ありて』が登場。作詞・阿久悠、作曲・谷村新司というヒットメーカー同士が手を組んだ楽曲で、この年のセンバツ行進曲にも使われた。今やすっかり球春を呼ぶ曲として定着。4年前の決勝であと一人のところで大旗を逃した上宮が優勝。
1998年
(第70回)
36横浜 3-0関大一  この年は過去最多の36校が出場。好投手や好打者が揃う松坂世代が甲子園で暴れ回った。主役はその横浜・松坂大輔投手。速球を武器に快投を続け、準決勝のPL学園戦も逆転勝ち。これが夏のあの「延長17回」への伏線となる。決勝も完勝し、春夏連覇へまず1冠。
2003年
(第75回)
34広陵 15-3横浜  出場校の選考に、秋の神宮大会優勝校の地区を増枠する神宮大会枠と、補欠校中で守備力に優れた高校を選ぶ希望枠を新設。準々決勝の花咲徳栄×東洋大姫路戦は花咲の福本真史、東洋のグエン・トラン・フォク・アンの両投手が譲らず、延長15回引き分け再試合再試合も延長で東洋がサヨナラ。
2008年
(第80回)
36沖縄尚学 9-0聖望学園  甲子園の内野席がリニューアル。開会式前のプレイベントで谷村新司氏が自ら作曲した大会歌『今ありて』を披露。出場校が36に増えたのに伴い、21世紀枠が3校に拡大。神宮大会枠は準優勝校の地区にも配分された。21世紀枠の3校(安房、成章、華陵)はいずれも初戦突破の快挙。優勝は9年ぶり2度目の沖縄尚学。同校監督は9年前の優勝投手だった比嘉公也氏だった。


__全国高校野球記念大会__

年(回)参加出場優勝スコア準優勝備考(記念事業など)
1924年
(第10回)
26319 広島商 3-0松本商  この年の8月1日、甲子園球場が竣工。初めて甲子園で行なわれた中等野球がこの大会だった。当時空前の規模だった6万人収容のスタンドは、3日目には早くも満員に。甲子園最寄の阪神電鉄の大阪・神戸の両終点では「満員につき来場おことわり」という掲示が出たという。
1934年
(第20回)
67522 呉港中 2-0熊本工  甲子園東側に野球塔を建設。野外の円形劇場として地元の子供たちに愛されたが、戦災の被害に遭いしばらくして撤去。現在の甲子園警察署付近が跡地だが、その痕跡は残っていない。この年の春には甲子園のスコアボードが新装。おなじみの“軍艦型”が初めてお目見え。また、沢村栄治投手が京都商のエースとして甲子園のマウンドに立っている。
1948年
(第30回)
125623 小倉 1-0桐蔭  この年の春から施行された新学制により、第1回全国高校野球選手権大会に衣替え。和歌山中→桐蔭などの新校名で出場する高校が相次いだ。そして、大会歌『栄冠は君に輝く』が登場。現在まで夏の甲子園を代表する歌として親しまれている。優勝の小倉は現時点で最後の夏の2連覇
1958年
(第40回)
180747 柳井 7-0徳島商  公式に明示した初の記念大会深紅の大優勝旗も新調。出場校は各都道府県と当時アメリカ占領下の沖縄から1校ずつ、計47校。このため、3回戦までは甲子園と西宮球場を併用。抽選会ではこの年から全選手を招いて、フェスティバルホールで開催。また、準々決勝で徳島商・板東英二投手と魚津・村椿輝雄投手が延長18回をともに零封して初の規定引き分け再試合。板東は大会83奪三振の大会記録を作った。
1963年
(第45回)
210648 明星 2-1下関商  予選参加が2000校を突破。この年も北海道2校、各都府県+沖縄1校からずつの計48校が出場して、3回戦までは西宮球場と併用。また、沖縄代表の首里が初戦で日大山形に勝って、沖縄勢初の1勝。春優勝の下関商は決勝で明星に1点差で敗れ、前年の作新学院に続く春夏連覇は夢に終わった。
1968年
(第50回)
248548 興国 1-0静岡商  半世紀という節目の大会は、開会式に皇太子ご夫妻(現天皇・皇后両陛下)を迎えて開幕。この年も48校が出場したが「甲子園で野球がしたい」という球児の要望に応えて、全試合が甲子園で行なわれるようになった。またファンファーレもこの年から登場。記念切手(15円切手2種)を発行。市川崑監督による記録映画『青春』も製作された。
1973年
(第55回)
266048 広島商 3-2静岡  作新学院・江川卓投手が予選5試合で失点0、被安打2、奪三振75、ノーヒットノーラン3回という記録を引っさげて、春に続き出場。しかし、初戦の柳川商戦で25奪三振ながら延長15回の大苦戦。次の銚子商戦でも雨の延長12回、サヨナラの押し出し四球で早々に甲子園を去った。この翌年からは金属バットの使用が許可され、実質的に木製バットの時代が終焉
1978年
(第60回)
307449 PL学園 3-2高知商  参加校数が3000を突破。1県1代表を正式に導入して、ベンチ入り選手を15人に増やした。大会は奇跡のPLが大会を席巻。準決勝の中京戦では4点差の9回に同点に追いつき、延長12回にサヨナラ勝ち。決勝の高知商戦も2点差の9回裏、犠飛と連続タイムリー逆転サヨナラ勝ちし、初の大旗をつかんだ。
1983年
(第65回)
356849 PL学園 3-0横浜商  大会の興味は昨夏、春と制した池田の3連覇がなるかの一点。順当に勝ち上がったが、準決勝のPL学園戦で1年の桑田真澄投手にまさかの完封負け。PLは決勝の横浜商戦で、同じく1年の清原和博選手の本塁打などで勝ち優勝。甲子園の連勝を16に伸ばした(翌春に20でストップ)。横浜商は春夏連続準優勝。鳴尾に全国の苗木を植える白球の森が造られた。
1988年
(第70回)
395849 広島商 1-0福岡第一  昭和最後の大会。開会式前のプレイベントで山本直純、さだまさし両氏による大会歌の大合唱が行なわれ、開会式には浩宮さま(現在の皇太子さま)が出席し、始球式も務められた。大会では下馬評に全く上らなかった“普通のチーム”浦和市立が強豪を次々と破り、ベスト4に躍進して旋風を巻き起こした。また、第1・2回が行われた豊中球場跡地に高校野球メモリアルパークが造られた。
1993年
(第75回)
395849 育英 3-2春日部共栄  初出場校がなんと15校。いわゆる古豪の少ないフレッシュな記念大会となった。2回戦の久慈商×徳島商では徳島商のエース・川上憲伸投手が打ちこまれ8回表を終わって7-0。しかし、徳島商はその裏に猛攻で一挙に同点。9回裏にサヨナラ勝ちという、奇跡の大逆転劇があった。優勝した育英が決めた犠打30は大会記録。
1998年
(第80回)
410255 横浜 3-0京都成章  ジャニーズJr.が開会式前のプレイベントを飾ったこの年は、出場55校、17日間の熱闘。松坂世代最後の夏にふさわしく、降雨再試合あり、ノーヒットノーランあり、サヨナラボークありと劇的な試合が相次いだ。
 しかしやはり主役は春優勝の横浜、そして松坂大輔投手だった。柳ヶ浦、ノーヒットノーラン男・杉内俊哉投手の鹿児島実、星稜と撃破。準々決勝はPL学園との延長17回の死闘を制し、準決勝は明徳義塾を6点差から逆転サヨナラ。そして決勝、京都成章戦で松坂投手はなんとノーヒットノーランを達成し、史上5校目の春夏連覇。なお、この年の横浜は他の大会も全て優勝して公式戦の勝率は驚異の10割。まさに20世紀1、2を争う最強チームだった。
2003年
(第85回)
416349 常総学院 4-2東北  開会式と始球式に日本の総理大臣として初めて小泉純一郎首相が出席。大会は台風が直撃するなど雨にたたられた。駒大苫小牧×倉敷工戦で駒大が8点をリードしながらノーゲームになり、再試合で敗れるという試合があった。また、準々決勝を2試合×2日にする新日程も順延のため、従来通り4試合を1日で行なう結果になった。この夏で勇退を決めていた木内幸男監督率いる常総学院が優勝。ダルビッシュ有投手で東北勢初優勝を狙った東北はあと一歩のところで涙をのんだ。